株式会社住友銀行(すみともぎんこう、英称:The Sumitomo Bank, Limited、略称:SMTM)は、かつて存在した日本の都市銀行。
1990年5月、日本経済新聞のスクープによりイトマン事件が報道される。
住友銀行傘下のイトマン向け融資総額は1990年末には5,000億円を超えていたことが発覚。
事の起こりはイトマンが東京青山に東京本社を建てるための地上げが進まなかった際に、
住友銀行名古屋支店が、イトマンに対し山口組の関係者である伊藤寿永光(いとう すえみつ)を仲介屋として紹介したことにあった。
いきなりイトマンの幹部となった伊藤寿永光は、暴力団とのコネを使うことで地上げを次々と行い、
その他の暴力団とのトラブルも収束させイトマンの不動産部門を担う筆頭常務にまでなった。
住友銀行はイトマンに巨額の不正融資を次々に行い、地上げをさせ、形の上では日本一の収益を上げていた。
その結果として1990年3月末のイトマンの不動産関連の借入金は1兆1800億円にも達し、
バブル崩壊とともに大部分が不良債権となった。
最後には不良債権の7000億円以上の金が行方不明となり、野村證券の田淵節也会長や中曽根康弘、
佐藤信二、三塚博、亀井静香の名前が取り沙汰された。
続く同年10月、横浜の住友銀行北青葉台支店長が、蛇の目ミシン恐喝事件で注目されていた仕手集団「光進」に対し巨額融資の仲介を行い、出資法違反(浮貸し)で逮捕された。
相次ぐ不祥事の中、同年9月、大蔵省銀行局検査が4か月の長きにわたって開始され、
同年10月、当時会長だった磯田は辞任に追い込まれた。
バブル崩壊で発生した不良債権に対して、1995年3月期決算では8,000億円を超える償却処理を実施し、
当時の金融界では異例の経常赤字決算となった。
こうした過程で、“闇社会”との軋轢が徐々に表面化、
1993年春から、住友グループ幹部宅を狙った襲撃事件が10件以上起きており、住友銀行横浜駅前支店で銃弾1発も打ち込まれていた。
また1994年9月14日に住友銀行取締役名古屋支店長がオートロック式のマンション内で
後頭部を銃撃された(住友銀行名古屋支店長射殺事件)。
伊藤寿永光をイトマンに紹介したのが名古屋支店であったため、イトマン事件に関連する事件ではないかと報道された。
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