小野田少尉
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001 2019/09/29(日) 11:21:01 ID:Lfrkg8lejM
002 2019/09/29(日) 11:25:11 ID:Lfrkg8lejM
「自分の生まれた紀州は……」
不意に寛郎がしゃべり出した。私たちは一斉に箸をとめて彼を見た。寛郎は座卓の下へ両脚を投げ出し、顔をややうつむけて話し出した。
「昔から地元だけでうまくやってきたんです。それも殿様一人の命令に従うんじゃなくて、有能な家来たちが智恵を持ちよって、うまく指導した。上下の身分もうるさく言わなかった。そういう気風がずっと昔から、徳川時代より、もっと昔から伝統的にあった土地です。だから神武天皇の軍隊が九州から来て上陸したとき、土地の豪族が追っ払い、失敗した神武天皇の軍は別の海岸から上陸し直して、やっと大和朝廷をつくることができたんです」
https://namaenaki.at.webry.info/201409/article_2.htm...
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003 2019/09/29(日) 11:27:26 ID:Lfrkg8lejM
専務たちは呆気にとられた表情で寛郎を見つめた。私は箸を使いはじめた。寛郎のこの話はすでに伊東別邸で一度、聞いていた。「大体、あの人たちの先祖をさかのぼれば、九州どころじゃない、もっと遠くの別の国から来たんでしょう。よそ者ですよ」「自分が手記の中で天皇に触れなかったのは、いまの自分が、自分の考えをしゃべったら、あちこちで問題になると思ったからです。野坂が言うように、だれかに禁じられていたためじゃない。一億のなかで、たった一人約束を守った自分が、命令を出した者の責任を追及したらどうなるか。三百万もの人間が死んだのに、命令を出した者は知らん顔をしている。戦えと我々に命じた者は、将軍でも何でもその責任をとって腹を切るのが本当だ。それなのに、いまだにのうのうとしていやがる。こんな日本に帰ってくるんじゃなかった。死んだ島田や小塚が可哀相です」
https://namaenaki.at.webry.info/201409/article_2.htm...
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004 2019/09/29(日) 11:50:53 ID:Fg5AIkw.Jw
ここにも現場と指揮する側の軋轢があったのね。
それはそうと小野田さんの至た現地住民の取材
が放送されてましたね。
現地の人達は小野田さんを殺人者で盗賊で恨ん
でいると、日本では違うみたいだが。と言って
たのを見て俺は衝撃を受けた。知らなかったし
情報として扱われてなかったし。
かなり、かなり複雑な気持ちで見ました。
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005 2019/09/29(日) 13:52:38 ID:6OY.14GWfo
尊敬する人は 「小野田少尉です」
今までもこれからもそう答えます。
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006 2019/09/29(日) 18:12:45 ID:2i6bVgycr6
昔、NHKの小野田さんのインタビュー番組で、小野田さんがジャングル潜伏中に現地の軍隊と撃ち合いになった際のことをやっていたが、
NHK側が「小野田さんの撃った弾が相手に当ってるとは限らないですよね?」と、小野田さんの答を誘導しようとしていたが、
小野田さんは「狙って撃ったんだから当ってますよ」と少しムッとしていたのを覚えている。
「軍人をバカにするんじゃないよ」という小野田さんの気概を感じたと同時にクソNHKの歪んだ価値観に無性に腹が立った。
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007 2019/09/29(日) 20:12:23 ID:oNm4HahRtQ
008 2019/09/29(日) 20:22:03 ID:oNm4HahRtQ
009 2019/09/30(月) 02:26:18 ID:1P6uDB7avk
010 2019/09/30(月) 12:37:41 ID:vCocSTJTRA
011 2019/10/01(火) 09:40:03 ID:az1zd.J.7U
>>10 それはポクのマンガに出て来る香港カンフーの使い手、李青鵬の必殺技「秘儀!三光!」を連想するからかねチミィ?
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012 2019/10/02(水) 16:07:44 ID:RxY5Lu4YJM
小野田さんは陸軍中野学校卒の情報将校、中野学校の教えは『最後の一人になっても戦え、玉砕してはならず捕虜になっても死んではいけない』というもの
終戦後も任務解除の命令が出ない為に、ルバング島がいつの日にか日本軍の占領下に戻る日を信じ仲間数人とアメリカ軍レーダーサイトなどへの遊撃戦を行ったりした
1974年3月9日に、かつての上官である谷口義美元陸軍少佐から、文語文による山下奉文陸軍大将名の「尚武集団作戦命令」と、口達による任務解除・帰国命令が下り帰国する事となる
後に小野田さんと親交のある作家さんが風呂場で『小野田さん、戦争が終わったのを知っていたんですか?』と尋ねたところ、小野田は『はい』と答えたそうだ。
小野田寛郎さんの言葉
汚名は恐れない、いつか晴れるから。 結果を恐れる、どうしようもないから。
小野田寛郎さんの母親の言葉
いつも美味しいご飯を食べられ、きれいな着物を着られるのは、誰のおかげですか。
たとえお金があっても、それを作ってくれる人がいなければ、手に入らないのですよ。
だから「世間」ではなく、「世間様」というのです。
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013 2019/10/02(水) 21:18:45 ID:c2RWdCuQzI
現地の子供たちは小さい頃、悪いことをすると親から「言うこと聞かないと日本兵が連れてっちゃうぞ!」と叱られて育ったらしい。
本当にあった言い伝え。
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