慰安婦問題〜ある元衛生兵の回想〜
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001 2019/08/12(月) 12:46:32 ID:d75pCFHznQ
松本栄好(まさよし) 91歳 2012年12月19日現在
中国山西省へ陸軍兵士として出征(北支派遣軍第一軍)
『・・・通る人が「慰安婦なんかいなかったんでしょう」と言う人がいるんですよ。
何言うか!この私が生き証人だ!と言うと黙って行きましたけれども。』
『ある日赤紙が来て』 真鍋元之著 1981
1942年頃、平陽鎮の軍専用慰安所 の証言
「私の馴染んだ慰安婦は、職業用の日本名をミサオと呼んでいた。生家は江原道のもっとも貧しい農家だったが、ある日突然村長がや ってきて「軍の命令だ。お国への御奉公に、娘を差し出せ」という。御奉公の意味がすぐに分かったので、父母は手を合わせ声の限りに哀号を繰 り返したが、村長は耳を貸さない。この面(村)へ8名の割り当てが来たが、面には娘は5人しかいないから、ひとりも容赦はならぬ、とニベ もなく言い放つ。村長の背後では、刀を吊った日本人の巡査(警官)が、肩をそびやかせている。5名の村娘が、石ころのようにトラックに乗せ られ、村境の土橋を渡ったのが、故郷との別れであった。文字が書けないので、家族の安否を、手紙で問い合わせる事もできない。・・・」
https://www.youtube.com/watch?v=QxlnHUrvg6s
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005 2019/10/08(火) 00:03:03 ID:4vG32tbuNU
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