南海トラフ地震について時々は思い出しましょう


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006 2021/10/29(金) 08:39:35 ID:pEtB4f4A0A
津波被害で昔から思う事、というか不思議な事

2011年の例の大津波以前から和歌山に仕事で行くと各地に高台への避難専用の階段や
ショートカットのスロープがあって、また地元民の意識も高く常に念頭には津波がある由
それが不思議だったんだが、よくよく聞くと江戸の安政の時代に和歌山は大津波に襲われて
大きな被害を出した。その時の逸話が「稲むらの火」として語り継がれ小泉八雲は小説にし
「稲むらの火」の濱口儀兵衛(ヤマサ醤油の一族)は、語り継がれる存在になっていて
そんなこんなで老若男女を問わず意識が高いことを知った。

そういう観点で2011年に目を向けると
三陸は直近として1896年(明治29年)と1933年(昭和8年)に津波に襲われ、特に後者の
1933年(昭和8年)の昭和三陸大津波では数千人規模の犠牲者を出している。
そして、大震災後に話題になったのが、その1933年(昭和8年)に建てられた石碑だ。
石碑には「高き住居は児孫の和楽」とあり、更に「想へ惨禍の大津浪(大津波の災いを忘れるな)
此処より下に家を建てるな」と続く。

安政年間の教訓を今だに念頭に置く和歌山、昭和の教訓さえも忘却してしまう三陸。
不思議でならない。それとも三陸の住民は>>4的な思考の持ち主なのか?

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