南海トラフ地震について時々は思い出しましょう
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001 2021/10/28(木) 20:52:03 ID:npPBShqroI
008 2021/10/29(金) 09:09:10 ID:pEtB4f4A0A
洋野町種市(八木)大正7年5月5日建立
久慈市宇部町(小袖)昭和9年3月3日建立
宮古市日立浜町 昭和35年6月建立
宮古市重茂(姉吉)昭和8年11月建立
山田町船越 昭和5年9月建立
釜石市大字平田 昭和32年11月建立
大船渡市大船渡町字富沢 昭和9年3月3日建立
陸前高田市気仙町字湊 昭和9年3月建立
ざっと拾って上記の8か所に石碑があり、その中の6か所の石碑に
・此処より下に 家を建てるな
・縣指定の住宅適地より低い所へ家を建てるな
等々の記載がある
が、それらが守られることはなかった。
中には村落の生き残りが2名だけになってしまい、切実な思いを込めて
高台に家を建てろ、低いところには家を建てるなと記載した石碑まである。
本当に不思議でならない。当該地区の人々は、先人の知恵や教えを無視する
アフォなのか?それとも刹那主義者なのか?
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009 2021/10/30(土) 21:28:39 ID:ve2pbKgycc
>>6 だから彼らは膨大な予算を投じて対策していたのださ。そして防潮堤を過信した。
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010 2021/10/31(日) 20:25:37 ID:.Oi9Ke8Hf2
防波堤は高くて頑丈なものほど維持費がかかってしまうので予算に割けなくなって取り壊そうかと思った頃にデカいのが来て再び対策に迫られる。
そこに住まないのが一番安く済むけれど、難しい問題なのだ。
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011 2021/11/01(月) 21:01:54 ID:29xBmuZquU
住民の生業が農業か?漁業か?の違いも大きいだろうねぇ
和歌山の広川町は農業地帯であり当時の住民も農民で五兵衛は後年整備した堤も田畑を守ることを主眼とした
対する三陸は多くが漁民
現代流に言えば、水産加工場や漁船の係留、メンテなどを考えると高台よりも海岸の方が効率が良い
実際、311以降に行政主導で町割りの再開発が行われ、高台移転を基本とし盛土や嵩上げを画策するも
住民の反対によってとん挫した地区や地域は数知れず
中には、当分津波は来ない、仮に来たとしても津波で死んでも構わないという住民が後を絶たなかった由
外野から見てると、我田引水な身勝手野郎に思えなくもないが、まぁ色々と仕方がないのだろう
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